こんばんは!
愛と友情の金のマドレーヌ工場の工場長松本加奈バナナです。
私は松本加奈子。ニックネームが加奈バナナです。
生まれたのは高知県の市内で一番大きい商店街、帯屋町のそばで、高知駅からは徒歩⑩分ぐらいになります。
しかしほとんど東京で育ってます。
幼稚園からずっと東京なので、シティーガールなのですが、しゃべるのが遅いためよく田舎から出てきた人に間違えられます。
大田区の大森が地元になります。
小さい時はどんな子供だったか?
そしてどこの大学に行ったか?などは
よく質問を⑳代㉚代の時はされました。
まずは幼少期
私は今と違ってとってもおとなしかったです。
いつも誰からもいい子だって言われてきました。
男子も女子も友達はいて、いじめなど受けることなく育ちました。
中学校の時までは家族で一緒で生活をしていました。
高校の時に両親が離婚をしたので、
家族ばらばらになりました。
高校では毎日バイトをしていて一週間のうち3日ほどしか学校に行かなかったです。そしてテスト勉強をしたことがないのに卒業出来た事は人生の七不思議の1つです。
私の学校での勉強は中学生で止まってます。
私はずっとちっちゃい時の事を一言にまとめて、あまり裕福ではありませんでした。とだけ、これまでは周りの人に伝えてきました。特にそれ以上伝える必要がなかったからです。
話した事ない事実を今回はお話しようと思います。
それはなぜわたしが自分のこれからの人生において、だれかの笑顔の為に社会貢献したいとおもったか?のきっかけや原点につながっているからです。
私の育った環境は、
今では考えられないとおもいますが、
台所も、トイレもお風呂も、何もないところでした。なので、もちろんそこには鍵なんてなくだれでも入ってこれるところでした。
お風呂に毎日入るって知らなかった。
ご飯を3食食べるって知らなかった。
具合が悪くなったら病院に行くって知らなかった。
大きくなって考えると知らない事だらけだった。
トイレは外に行って会社さんが使うトイレつかってたから、夜は暗くて怖かったです。ベランダで風ひゅーひゅーの中ガスコンロ料理、もう都会のキャンプだって今書いていて思いました。
母親は身体が弱かったのでずっと寝てました。
父親は、ほとんど家に家にいなかったです
幼稚園は母親が朝は寝てるので、行きはいつも一人で歩いて行きました。私はあまり寂しく感じることがないのは、この時の経験から来ているのではないか?と思います。(笑)
私はすごいのんびり屋さんだったし、マイペースで人と自分を比べる事がなかったため、自分の家がまずしいのかもしれないと気づいた時は中学生の時でした。
なので私はその時、中学生の時から、夜11時になると家を抜け出て、自電車を走らせパチンコ屋さんの掃除をして、店長からポケットマネーをもらってました。この時が私の仕事の始まりです。
とっても楽しかったです。
まつ続きは明日書きます